Post記事
【鳥取市】鳥取縣護國神社について
鳥取縣護國神社

・読み方:とっとりけんごこくじんじゃ
・鳥取砂丘や日本海を見下ろす高台に位置し、周辺には親子で楽しめる施設やゴルフ場、キャンプ場、カフェなどがあります。
・春になると本殿付近に桜が咲いていて、とても綺麗です!



何を祀っているの?

・国家や公共に尽くした鳥取県出身および縁故のある23,478柱の英霊を祀っています。戦没者を慰霊し、平和への祈りを捧げましょう。
鳥取縣護國神社の歩み

・鳥取県護国神社は、鳥取藩が明治元年(1868)11月12日に行った招魂祭を起源とします。その指魂祭は、12代鳥取藩主池田慶徳が祭主となり、慶応4年(1868)1月に始まった戊辰戦争で自藩のために戦い亡くなった戦没者を慰霊するためでした。藩の軍事調練場である古海河原(現・鳥取市行徳・古市あたり)に仮祠を設置して、その祭典を執行しました。
・明治3年(1870)5月の招魂祭は、鳥取市浜坂の代々山(現・鳥取市立浜坂小学校)に招魂場を移し執行、同年9月には同地に招魂社が完成しました。
しかし、同4年7月の廃藩置県によって、それまで藩内の戦没者を祀る招魂祭を行っていた鳥取藩はなくなりました。
・翌5年8月、鳥取県から旧藩主池田家へ通達があり、以後、池田家が招魂社を運営、春秋の招魂祭を執行することとなりました。
・同8年8月、明治政府の宗教政策により、官費をもって運営されることとなり、「官祭鳥取招魂社」と改称しました。
・明治12年(1879)11月、鳥取市浜坂の代々山が祭典執行・参拝客に不便であるとして、鳥取市西町(現・鳥取地方検察庁)へ移転することとなりました。
しかし、同地は市街地に近いため、火災等による焼失の恐れがあるとして、同30年11月に鳥取市上町(現・樗溪公園内梅園)へ移転することとなりました。
・その後、昭和14年(1939)4月1日に内務省令により「鳥取県護国神社」と改称。同21年9月には戦後改革の煽りを受け、「因伯神社」との改称を余儀なくされました。
・翌22年4月には、同17年に新築したばかりの本殿を含む社殿が焼失してしまいました。
・同27年1月には「鳥取県護国神社」と再び改称。
・同30年には伊勢神宮より譲与された別宮・倭姫宮を移築し、本殿としました。同28年に行われた伊勢神宮の式年遷宮の際、使用されなくなった社殿の譲与を願い出たのです。
・昭和49年(1974)、鳥取市浜坂へ新築・移転することとなり、平成16年(2004)には浜坂移転30周年記念事業として社殿葺替の整備を行い、現在に至っています。
祭祀について
・春季例大祭 4月22日
・秋季例大祭 9月22日
(22日が土日祝日にあたる場合は20日に斎行)
・英霊感謝祭 8月15日、12月8日
春と秋の例大祭には、知事以下県下公共団体長の臨席のもと、主として県下遺族が参列。
鳥取敬愛高校生徒による浦安の舞他、詩吟・生け花等の奉納があります。
まとめ

今の私たちがいるのは、お国のために命をかけて戦われた英霊の方々のおかげです。
平和への祈りと感謝の気持ちを込めて参拝しましょう。
神社名 | 鳥取縣護國神社 |
住所 | 鳥取市浜坂字鳥打1318-52 |
電話番号 | 0857-22-4428(平日9:00〜16:00) |
駐車場 | あり |
アクセス | 電車→鳥取駅北口から車で約5分 湖山駅から車で約6分。バス→子供の国入口から徒歩5分 子供の国バス停から徒歩6分。車→山陰近畿自動車道 福部ICより7分。 |
関連リンク | ホームページ |